本日8月15日は終戦記念日ですね。終戦

ここ1年、70才以上の方のお話を伺うことが多く、
いろいろな方の戦争体験をお聞きする中で、戦争に対する私自身の考えも変わってきたように思います。
変わったというよりも、より身近なもの、立体的なものとして考えられるようになってきたということかもしれません。

学んだことは、なによりも戦争が一人一人の人生に与えた影響が非常に大きいということ。
なおかつ、その影響は人によって全然違う、ということです。
本当に多くの方の、生の戦争体験をお聞きしました。
シベリア抑留からの生還者、広島での被ばく、
満州からの引き上げ組や特攻隊の次の順番だった方などの、
本当に生死の境目を見て来られた方から、
田舎にいながらも食糧難で大変な苦労をされた方、
空襲の光景が目に焼き付いている方、
学校の先生として子どもたちを疎開させていた方・・・

一方では、比較的裕福な農家の方で苦労と言う苦労はなかったという方や、
偉い軍人さんの書生のような立場で客観的に戦争を眺めていた、という方もいらっしゃいます。
いろいろな苦労、辛さ、苦しみをもたらせた。その大きさと多様さに圧倒されます。

でも一番印象的なのは、戦争反対ではなかった方が多くいらっしゃったという事実です。
これが正しいことだと信じ切っていたという方。
それも小学生などの小さい頃だけでなく、10代後半でも20代でも信じていた方が多くいた。
「お国のために」が正しいことだった。勝つことは純粋にうれしいことだった。
アメリカ人は憎むべき存在だと信じていた・・・

終戦日、その価値観が変わった、今までの自分が信じていたものがガラガラと崩れた、
というその心境は、私自身は理解できていないのかもしれません。

きっと、戦争に賛成してしまうことにある種の「魅力」があることは認めなければならないのでしょう。
その魅力をないものとして戦争反対だけを唱えても、意味のあることにはならないのではないか。
戦争には魅力がある、人には戦争をする「傾向」がある、ということを認める必要があるのではないか。そんなことを考えさせられました。

そのうえで、一番肝に命じなくてはいけないのが、皆さま例外なく、戦争はもう起こしてはいけない、とおっしゃっていること。
これが唯一絶対の真実なのだと思います。

それから思ったのが、個別の戦争体験も大事ですが、その後の人生をどのように生きてこられたかを聞くことで、
より立体的に戦争をとらえられるということでした。
個別の体験だと、瞬間の写真のようなものが、その後の人生を伺うことで流れのある人生として、伝わってくるのです。
兵隊で先に死んでいく人間を見ることが、その後自分が事業をやるうえで影響を受け、負けなかった。だけど気持ちのどこかが冷めていた。
親の戦死の知らせと、その後の家庭の苦労を長女として乗り越えてきたことが、辛かったけども今の自分を形作っている。
満州で人に助けられて今の自分がある。だから自分は他人に親切にしなければならない。

皆様戦争から70年を生きて来られ、その間に戦争を「終わらせて」来た、それが戦後という言葉の持つ意味なのだと、強く感じます。
その意味では、日本にとって戦争というものは終わっていないし、これからも続くのでしょう。
それほど戦争とは罪深く、多大な影響を人に与えるものなのだと思いました。

ここ数年で8月15日に取り上げられる戦争の話題も少なくなり、戦後もいよいよ遠くなってきたかとも感じますが、
だからこそ、いま、この時期に多くの方からお話を伺いたいと考えています。